09.16
Wed
おはようございます。

今回は以前Fさんという方から頂いた長文コメントへの私なりのご返答、其の一となります。

以前の記事は…、探してみて下さい。

だいぶ前の話なので、もう忘れてしまっているかもですが、失礼に当たりますので、ご返答させて頂きます。


長らく、ご返答出来ず大変申し訳ございません。

だいぶ前の話ですので、もう忘れてらっしゃるかもしれませんが、Fさんからのコメントに対してのご返事です。


①責任を果たす、仕事をこなす能力について
②迫りくる責任に対するプレッシャーについて

ここから生まれるストレスの強弱が、「理性なんて捨てたいという欲求」となる流れ。


まず、この点ですが、世を忍ぶ仮の姿で生活をする分には、この考えは成り立つと思います。

ただ、私のぶるぅの流れには、ちょっと合わない感じもします。

何故か?

ぶるぅ、もしくはM傾向の強い方が、捨てたい理性というのは、ストレスの強弱からくる理性ではなく、

「隠しておきたい自らの性癖、もしくは乱れた姿」を隠そうとする防御本能だと思います。

①②も多分、要因には入るとは思いますが、捨てたい理性 → 自らの心の奥 なんだと思います。

誰しもその奥を覗かれたくはないし、ましてや赤の他人には尚更知られたくもないというのが本心だと思います。

「俺って、マゾなんだ!」

って友達同士で話す分には、冗談で済まされる場合が殆どですが、初対面の方に、

「ワタシ、マゾなんです!」

って言われる事はまずありませんし、しません。

そこには、自らを美化したい防御本能が働くからだと思います。

もしくは、周りから浮いた存在にならないようにする本能(帰属本能っていうんでしたかね?)なのかも知れません。

心の奥底を覗かせただけで、いままで培ってきた関係がガラガラと崩れる、そんな事態になりたくないという

事なのかもしれません。


しかし、その逆もあると思います。

隠しておきたい本心ではありますが、その欲求って、増せば増すほど外に出したくなる。

そしてカミングアウトなんて形になる。

TV等でのカミングアウトも、最近ではよく見られていると思います(私、TV無いのでよく知りませんけど(笑))

これって、よーく考えてみると、おかしな話で、隠しておきたいものをわざわざ公共の電波に乗せて、宣言する

必要はないんです。単なる話題性という考えもあります。

でも、一番は「言いたい、伝えたい」という気持ちと、それに賛同してくる人を探すことなんだと思います。

一般には賛同できない内容でも、ごく一部の人間に理解して頂ければいい的な感じで言うのではと思います。

(単に話題になるから、というTV関係者の口車に乗せられた人もいるでしょう)

ウチの子の話も多分、これに相当するかもしれませんが、ごく一部の人に賛同してもらうだけで十分で、

偽った姿で接したくないという切実な思いもあったのでしょう。

ただ、普通に話せば、今まで培ってきたものを捨ててしまわなければならない恐怖もあったと思います。

だから、ぶるぅは理性がコントロールできない状態で、私に告げたのだと思います。

本人の理性の力が遠く及ばない状況で。


今回はまずこのぐらいで。次回でご返答は終わりとなります。
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コメント
お久しぶりです。丁寧なご返信ありがとうございます。
ちょっと最近忙しく、訪問できずにいました。




確かに、自らの心の奥に秘めた欲求は表現の機会を待っていて、理性を吹き飛ばす要素になりそうですね。
その際に、

・それを受け止めてくれる(くれそうな)相手であること
・SMにおける縛りや鞭、etc.の刺激(ニアイコールストレスも含む)

と、いったものも理性を吹き飛ばす要素となりそうで、同感です。




ただ、その胸に秘めた欲求自体がどうして膨らんでいったのか?ということになりますと、それは胸に秘めた想いを容易には外に出すことができず、圧縮された結果ということ、また、社会常識それ自体が、その思いを育てたとも言えないでしょうか。
裸になって縛られること、鞭を打たれること自体が普通の世の中でしたら、理性を吹き飛ばすような興奮、欲求の圧縮は生じずらいように思えます。





>①責任を果たす、仕事をこなす能力について
>②迫りくる責任に対するプレッシャーについて

>ここから生まれるストレスの強弱が、「理性なんて捨てたいという欲求」となる流れ


ここで述べたことはSMの欲求だけでなく、それこそ①②のストレスに打ちのめされ、会社に行かずに遠くの温泉宿にでも逃げてしまったり、性的に奔放になったり、・・・理性が働いている状態ではしないだろうことをしてしまう。
(もちろんそれは「本人の欲求」が確かにあるのですが)
ここまでは一般的とも言える部分です。

そして、これは経験的、主観的なものになってしまうのですが、M女性にはストレスにさらされ続けている「環境」にいる方が多いと感じます。
このストレスというものも心の問題ですから、社会常識を守らねば、ちゃんとしなくては、という人のほうが、適当で良いや、何とかなるだろうと考える人よりも強いストレスがありますよね。
「羞恥心」についても同様です。社会常識の存在なくして、なすべき態度、行動の縛りが社会に存在なくして、羞恥心は存在し得ないと思います。
ここでいう「環境」はその人の内面とその人を取り巻く社会状況の両面を含んだものをさしています。(社会状況は変えられるかもしれませんが、内面はどこまでもその人に宿りますから、より本質的なものがありそうですね。)

まとめますと、理性を捨てさせる要素には理性を持っているがゆえに生じるストレスの存在があり、それは欲求を大きくしつつ、それでいて欲求を抑えさせる。(これはSMの欲求に限らず、広く一般にいえることではないかな、というところが上記の表現に至ったところです。)







SMの話に近づいてもう少し話を進めてみます。

社会常識、服を着ること・・・・それを身につけて、そうして今度はそれを脱ぎ捨てたくなる。矛盾してますが、そういう欲求を開放する方法として、SMは強力な力を持っていると思います。
そしてSM自体もまた、羞恥心といった「ストレス」を利用したところがある。「社会常識を軸とした」ストレスです。



ただ、「羞恥心」は心の問題で、人それぞれなところがありますよね。
一方、鞭には、羞恥心もありましょうが、痛みという老若男女関係のない刺激、ストレスがあります。
この違いは大きいと思うのです。
BAさんの記事の中で、鞭の刺激が理性を飛ばすきっかけになる描写がありますが、私が最も関心を集めたのはその点でした。
このアプローチは、現代においてSMに特有なものだと思うのです。





今回の書き込みも長くなってしまいました。これから更新されている記事のほう拝見しようと思います。

ではまた。

F | 2015.11.10 23:14 | 編集
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