06.12
Fri
朝から、ぶるぅに振り回されました。

突然、「お尻がモゾモゾする」と……。

だから、私はとっさに、「ほら……、あれ……、使ったらいいじゃん。」って言いました。

………、アレが出てこない。

悩むこと5分少々。

………、ポキール!

ぎょう虫検査で使った、青いフィルム。

出てからは、大笑い。

まだまだボケてられません。


……続きです。


人それぞれやり方は違うだろうけど、私とぶるぅの場合は、絶頂に達する寸前で痛みを

加える事で、快楽に換えることが出来た。

ぶるぅの場合は、逝ったときの姿を見られるのが恥ずかしくて、自分でブレーキをかけていた。

自分でブレーキをかけれなくなったとき、逝っていた。

一昔前のぶるぅにはまだ「恥ずかしさ」が残っていた。

私はその壁を砕くべく、ぶるぅに痛みを加えた。

その時は確か、平手だった。

尻への平手一撃。

それまで、ぶるぅが快楽をせき止めていたところにビリビリとした強い刺激が「アタマ」に届く。

同時に、かけていた「恥ずかしさ」ブレーキを緩めてしまう。

当然、快楽はその緩めた隙間から漏れてしまう。

刺激が強ければ強いほど、緩まる度合いは大きい。

そして、「アタマ」には痛みと快楽が同時に襲いかかる。

パニックに陥った「アタマ」は『痛み』→『痛い』と『快楽』→『キモチイイ』を

つないでいた線を『痛み』→『キモチイイ』につなぎ間違えて判断してしまう。

ぶるぅはその快楽を嫌がらなかった。

真っ赤になって恥ずかしがったが、その快楽は今まで経験したことのない快楽だったようだ。

事実、平手三発目で気絶したのだから。

痛みに関しては、こんな感じから進めていった。


では、すぐに「アタマ」の快楽が出来るか?といえば、答えは多分ノーだろう。

まず「アタマ」を快楽に導くことをしてあげないといけないだろう。

普段の生活をして、イキナリ叩かれても、それは「痛い」しか生まない。

「痛い」を「キモチイイ」に換える前戯が必要となる。


私とぶるぅの場合は、最初はセックスを使っていた。

お互いがつながり合って、絶頂に達する寸前までが前戯になる。

そして、そこから「アタマ」の快楽を始めていた。

しかし、それでは普通にセックスをした方がいいとも思っていた。

なるべく時間をかけず、その状態まで持ち込むには?と考えてみた。

そこで行ったのは皆さんも実践されている「辱め」だった。

恥ずかしいことをさせて、ぶるぅのテンションを高めてやることで、時間を短くする

ことは可能だった。

セックスよりは体力を使わず、その状態まで持ち込むことが出来る。

そして、『興奮』させて、『アタマを真っ白』にさせる。

アタマの快楽で重要な意味をもつのが、この『アタマを真っ白』にさせること。

快楽の絶頂時はオスでもメスでもアタマが真っ白になる。

『キモチイイ』だけを求める、獣になってしまう。

この時が、「アタマ」の快楽を始めるには最適なんだと思う。

「恥ずかしい」行為をするときは、あまりの恥ずかしさに頭が何も考えられなくなってしまう。

こんなときは、「興奮」してしまい、それが連続して続くと、『アタマが真っ白』になる。

ここから「アタマ」の快楽は始まるんだと思う。


……、まだ書きたい内容に入っていないので、不定期に更新します。
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コメント
Fさん、はじめまして。
大変貴重なご意見、ありがとうございます。
Fさんもこういった体験をされたのでしょうね、内容からすると。
内容が内容なので、これは記事として近日、UPさせて頂こうと考えております。
それまで暫しお待ち下さい。
ちなみに、Fさんは女性でしょうか?それとも男性でしょうか?
ちょっと気になりました。

つあtない内容で恐縮ですが、今後とも宜しくお願い致します。
BA | 2015.07.30 06:49 | 編集
はじめまして。
検索でこちらのページにたまたまたどり着き、「アタマの快楽」の記事が興味深くROMしておりました。
BAさんのこの一連の記事で探求されていることについて意見交換できたらと思いまして書き込みいたします。

こういったことを語るには、互いに共通の言語を了解しつつ話を進めてゆく方がスムーズだと思いますので、記事の内容をまとめつつ意見交換できたらと思います。



・「壁の向こう側」について

「壁の向こう側」とは、この記事において痛みが快楽に変わる状態をそう呼ぶこととします。
この「壁の向こう側」に行くには、記事に書かれているように、「壁まで近づく」ことと「壁を乗り越える」ことの、大きく二段階に分けられると思います。


「壁まで近づく」手段として、
①セックス(前戯)
②辱め

がこちらの記事ではあげられます。
その過程において薄れてゆくものは、自我であったり、羞恥心であったり、理性であったり、単に意識と言ったり・・・、目に見えない心の状態を言葉にして表現すると無数の表現が考えられます。

ここではひとまず「イシキ」と表現させてください。
「イシキ」をなくすにつれて(「興奮」させて)「アタマが真っ白」に近づく。

主観が入りますが、①セックス(前戯)は「アタマが真っ白」に②辱めは「興奮」にだいたい対応すると思います。

また「イシキ」が薄れてゆくことは「アタマが真っ白」に近づくことと思います。

「壁」の前にあるものは「アタマが真っ白(薄れゆくイシキ)」「羞恥心(興奮)」であり、その壁を乗り越えたとき、「イシキ」「羞恥心」は失われる。

(「羞恥心」は「イシキ」に含めてもよいかと思います。)
(「羞恥心」は失われるなら「興奮」も失われるか?と疑問も浮かびますが、「壁の向こう側」の興奮は羞恥心とはまた別のものとしたほうがよさそうな気がします。)


羞恥心は壁に近づく手段であると同時に壁の前で立ちふさがる障壁であるところがおもしろいですね。


長々と書いてしまいましたが、ここまででBAさんがここは違うんじゃないかな?というところがあればご指摘していただけると幸いです。





「壁の向こう側」・・・私の体験したそれは静けさがあり、熱があって、自由で、美しく。

このような話ができる人や場所はそうそうなく、こちらのページを発見したときはとてもうれしかったです。
どうぞよろしくお願いします。





F | 2015.07.30 01:15 | 編集
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